Fun 仕事への道⑤ なんか合ってる気がします

まずわたしの好きな詩から紹介したいと思います。

 

"Faith"                 By Patrick Overton

When you come to the edge of all the light you have and are about to step off into the darkness of the unknown, faith is knowing one of two things will happen.

There will be something solid to stand on or you will be taught how to fly.

 

10年以上前、たぶんウツ後無職で引きこもっていた時期に、偶然ネットで見かけた詩。最初はね、意味が分かりませんでした。確かに人生は明かりもなく一寸先は闇だよね、みたいなネガティブ解釈をした気もします。

でもある時分かって以来、このFaithというものをわたしも持ちたい、持てる人間になりたいと思ってきました。未知の闇を怖れず、踏み出した足の下には必ず足場があると「知っている」「分かる」人。さらには今の自分を超えて次次元のじぶんになる(飛べるとか)ことも想定内な人。

物心ついてからこれまでの人生の99%を小心者、自信なしで過ごしてきた者としてはそんなアドベンチャーな人生も人格も自分からは遠くにある存在だと思ってきました。遠くからあこがれる存在。

でも44年間かけて人生すごろくのコマを行きつ戻りつし、色々な働き方をさせてもらい、ひとり働き方改革が知らない間に進行した結果、今どうもわたし「手持ちの明かりが届く崖っぷち」まで来ちゃってるようです。もう明かりが照らす「これまでの道」を歩く気がしない。飛び出した先に何が待っているかは、全然見えない。でも、飛び出すんだな~。何に向かって飛び出すのかもよく分からないけど、これで「合ってる」ことだけ「分かる」のです。

これが Faith がある状態なのでしょうか。想像していたのはこう、もっと自信満々でエネルギッシュな様子でしたが、実際の今のわたしの感じは、淡々と、ぽかんとしています。あ~、次はこれか~。なるほどうまく出来てるなぁ、と。飛んだ先に何があるのか全然分からないので、具体的に何をすれば良いかも分からないのですが、今分かりました。わたし、次は飛び出すんですね。

こんな時が来るとは、という意味で感慨深いものがあります。だって "Faith" の詩を知ったときは、暗闇にジャンプなんて無理、ゼッタイ。と思っていましたから。なぜなら基本姿勢が「生きるのコワイ、油断したら足をすくわれる」だったから。そうしたら当然、少しでも怖くないように、足元照らして一歩一歩歩きたいですよね。暗闇ジャンプをできるためには、その真逆の姿勢がいる、そして自分がそうなれる気がしませんでした。「生きるの楽しい、何が起きても大丈夫」。

具体的に考え出すと(お金のこととか)不安になるので、今はとにかく体を動かすことと、心が感じることに気づけるようにしておこうと思います。

ぼんやりした内容でごめんなさい。ほぼ自分への覚えとして書きました。

それではまた~。