Fun 仕事への道④ わたし「ひとり働き方改革」してたんですね
前々回からのつづきです。
ウツ回復期に初めて「着ぐるみ」はわたし本体ではないことに気づき、本体の性質と志向を観察し始めました。
そうすると、いくつかキーワードのようなものが見えてきました。
- もう着ぐるみは来たくない。仕事もプライベートも、本体のままで過ごしたい。
- 都会には行かない。人多すぎ、緑少なすぎ。
- ようやく見つけたわたし「本体」の軸を大切にする
- 仕事は地味で地道なもの。地味な作業が苦にならない職種を探そう
全てを満たしていたのが、「通訳」というお仕事でした。フリーランスになれば、住む場所問わず仕事できそう。物心ついた頃から、外国語の勉強という地味なプロセスは好きでした。誰かの言葉を訳す仕事なら、自分のカラーを問われないということも、当時まだよちよち歩きの「自分軸」を育て中だった身には魅力的に思えました。
なんちゃって通訳アルバイトや、社内通訳の経験が若干はあったものの、本格的な経験はなかったので、いつもの「石橋を叩いて渡る」、別名ビビりな性質を発揮して、まずは通訳学校で訓練してもらおう!と考えます。
派遣で学費をどうにかして、通訳学校に入学しました。当時35歳。遅いスタートだと思います。1年もいれば卒業できるでしょ~、と甘い目論見で入りましたが、その後足掛け3年半通って、最終クラス止まり。実は今も卒業しておりません。
通訳学校に行き始めて1年ほど経った頃から、学校と並行して派遣通訳を始め、派遣生活後半はフリーランスになるため単発案件も受け、そうこうするうちに Kiko と出会い、結婚のため引っ越します。
なにぶん木こりというのは儲からない職業のようで、結婚後わたしも家計の足しに、と社員就職の道も探りました。ハローワーク通いました。でも、どうもご縁がなくて。シンプルに言えば、落ちました。まあ、職歴欄異常に長いですしね。40ですしね。
それで、いつかはなりたいと憧れてはいたものの、自分にはまだ早いと怖気づいていた「フリーランス」というやつに、なったというよりならざるを得なかったというのが実情です。どっきどきして個人事業主登録に行きました。
おろおろフリー通訳になってみたものの、弱気は変わらずです。仕事をお受けすればしたで緊張して胃痛と後悔、仕事が途切れれば「もう仕事来ないかも…」とブルーになり求人検索。振り返るとなんと3年と少し、決して豊かではないけれど、生活できていたことに本人が一番驚いております。
今回ブログのために仕事のことを思い出してみて良かったです。文字にすることで、社会に出てからこれまで20年弱、わたしは少しずつ思い込みを捨て、できるはずないと思っていたことに挑戦し、歩いてきたことが意識できました。
「社会人になれない、怖い」から始まり、「とにかくどこかの組織の一員として働く」をクリアし、転職などというアグレッシブな動きも(追い詰められたネズミの逆襲的にですが)できるようになり、主体的に自分がしたい仕事を探し始め、メインストリームからは落っこちましたがウツで着ぐるみを脱ぎ去り、社員も契約社員も無職も派遣も経験できて、どの気持ちも分かりました。メインストリームから脱落しても人生終わりじゃないことを知りました。むしろ無理に主流に合わせることをしなくなったため、脱落後の方が幸せです。そして直近では組織に属さないで生きることを学びました。
「働き方改革」という謳い文句、ありますね。わたし20年間かけて自分の、ですけど働き方を改革してきたのかも。何を目指しての改革か。Fun と自由です。そして、想定外でしたが今またセルフ働き方改革の次のステップがやってきたみたいです。そう、このブログでも書きました通り、「自分のことばを話す」「仕事をつくる」「自分の志向と経験を全部統合して、それをなりわいにする」こと。
そしてこのひとり働き方改革は、決してわたしひとりではできませんでした。その時々の同僚、上司、友人、家族…。出会った人皆が(反面教師も含め)何かを教えてくれました。感謝です。これからが本当の恩返しだ~!待ってて!