Fun 仕事への道③ ウツになりました。それが良かった。

前回からの続きです~。

 

えーと、軽いウツから休職、退職し、無職になりました。

大きく2種類の気持ちがあったように記憶しています。ひとつは、とにかくほっとしました。病名がついたことで、もう頑張り続けなくていい、もう休んでいいんだ、とこれまで気を張っていたのがすごい勢いで体から溶け出していくようでした。とにかく寝続けました。

ふたつめは、これで普通の人生コースからはみ出しちゃったな、という認識でしょうか。鮮明に記憶に残っている風景があります。当時わたしは都会の病院へ通っており、大きな交差点にビジネスマン・ウーマンの皆さんとわたしとホームレスのおじさんが信号待ちをしていました。信号が青に変わり、ビジネスマン・ウーマン達が足早に歩きだす中、わたしとホームレスのおじさんだけ、後方に取り残されています。早く歩く理由がないわたし達。

そんな訳で何とも心もとない気分ではいたのですが、ウツ回復期にあることに気づけたことが、それまでの人生最大の「目からウロコ」体験となり、結果としてウツになったことが大転換点となりました。

何に気づいたか。「自分を知らない」ことにです。この時もういい大人ですので、自分のことは当然自分が一番よく分かっていると思っていました。でも、気づきました。それまでずーっと、「周りに求められているわたし」の着ぐるみを着て、着ぐるみを自分だと思っていたことに。親の期待に応えるわたし、上司の期待に応えるわたし、わたしの期待に応えるわたし。どうもいつも生きづらいし自分が嫌いと思っていたのは、着ぐるみが重かったのです。期待に完璧に応えられる「素敵な着ぐるみ」になろうとしてできないから苦しかったのです。

それから、生まれて初めて「本体」であるはずの着ぐるみの中身、素のわたしのことを観察し始めました。何をして喜ぶか、何が嫌いか、何を望んでいるか。ずっと寝ていたので体力も落ち、気力もちょうとゼロになっていたので、心身ともにゼロベースでひとつずつ「したいこと」を拾い上げることができました。自然の中にいること、音楽を聴く、本を読む、散歩する、歌う、ヨガ…。徐々に活動レベルが上がっていきました。

「したくないこと」はしばらくは完全拒否しました。家族に迷惑をかけました。でもこちらも徐々に小さなことからできるように。こちらの方が時間かかりましたけど。頼まれたことをする、人混みに出かける、から始まり、数年かけて「毎日仕事に行く」レベルまで戻りました。

そんなわけで、ウツはわたしにとって大変ありがたい経験になりました。自分だと思っていた重い重い着ぐるみを脱ぐことができたからです。中身の素のわたしを、凸凹でいびつな姿でも受け入れ始めるきっかけをくれたからです。

そうして浮かんできた「したい仕事」が通訳でした。

今日は指が重かったです、やっぱり思い出すのにエネルギー使うエピソードなんでしょうな~。ちょっと疲れたので、続きはまた後ほど~。