山の白魔女になりたい

分かりました。よくあることだけれども、頭で考えて考え尽くしても分からないことが、ある時ぽかっと抜けて分かる時、ありますね。わたしも今さっき、それが来ました。

頭では、「したいこと」として畑とか食べるものをできる限り自分で作ることや、小さくていいので野山を健やかな姿にすることをしたいと思っていました。一方で生活の糧としては、やっぱり頭で考えるのでこれまでのレールの延長線上にどうしても戻っていってしまっていました。家でできる翻訳仕事で「つなごうか」とかね。

いかーーーーん!!守りに入っていました。今はわたし崖からジャンプ中なのに!背中にまだ風船パラシュートを背負ってました。手放すぞ!

今さっきというか正確にはシャワー浴びてる間に分かりました。(ちなみに寝てるとき、シャワー中、トイレ中とかの直感の精度は高い。信じるべし。)わたし、植物をもっともっと知って、植物の恵みをもらいたいんだ!それを親しい人達にも分けてあげたいんだ!

片鱗は子供の時からあったんでした、そういえば。「食べられる野草」から始まり、花びらを潰して水に溶かして、「きれいな花色の水」を作ろうとしてました。一時期薬草のチンキを作りまくって化粧水にしたり、石鹸にしたりもしてました…。家族に怪しまれたのも今は懐かしい思い出です。

「グリーンフィンガー(植物を育てるのが上手な、緑の指を持つ人)」という表現を初めて聞いたのは確か11、2歳の頃。新井素子さんのSF小説だったかな?植物と通じ合う人を描いたお話に、それからもいつも惹かれていたのも思い出しました。

「雑草」と言われる野草がわんさか生える畑で、大家さんがあるとき言いました。「雑草が金になればいいのにな」。人間が常食しない、育てないだけで、わたしが知らないだけで、実は食べられるのかも、実は薬効があるのかも、実は香りが癒してくれるのかも…。

植物と向き合って尊重することと、植物の命をもらって利用させてもらうことと、経済。これバランスをどうとるか難しい天秤だと思います。バランスが崩れたら、ひらたく言えばわたしが欲張りすぎたり植物がお金に見えてきたりしたら、何かが失われるとも思います。

自戒の気持ちは忘れないようにしつつ、でもわたし、山の白魔女になりたいんだ!そう思ってPCを立ち上げたらば、「したいことリスト」のポストイットに全部書いてありました。

かご、染色、植物チンキ、藍立て、農業、土の浄化、微生物、薬草、ひふみ、マヤ・アンジェロウ…。

なぜかアンテナに引っかかるので、図書館で本を借りるテーマの覚えとして1年ほど前から書き始めたリストです。(後ろのふたつは毛色が違うけど。)

よく「答えは全て自分の中に」って言うけど、真実だから皆言うんですね。全部自分の中にもうありました。忘れてた。全部小さな頃から、なぜか「わくわく」すること。ちょっと手を出しただけで、色々な言い訳をして(時間がない、今からじゃ遅すぎる、お金にならない…)本気で飛び込まなかったこと達。

ようやく分かりました。これがわたしのFun暮らしです。

さぁ、やるぞ!